日記を書こうと思うことはいくつもあって

しかし頭の中を整理する暇もなく時間はどんどん過ぎ去って

落ち着いたころにはすっかり忘れていたりするのだからどうしようもない。

 

子供のこと。

ついこの間産んだような気も随分昔に産んだような気もする。

この世に生を受けて5年。

絶賛反抗期、いや、成長期。

この一年は特に精神的な成長が大きいのだけれど

それに伴って情緒が安定しない。

沢山のプレッシャーや期待や、大人の都合で起きる様々な事象や、

そういったものに小さな体で一心に耐え、

耐えきれず、

泣き、わめき、ふてくされ、

言動が攻撃的。

 

ある日の夕飯中に涙目で言われた。

ママ、いなくなっていいよ。(※マイルドに表現しています。)

 

瞬間、時が止まった。

泣けばいいのか?怒ればいいのか?

諭せばいいのか?それとも聞こえなかったふりでもして流せばいいのか?

面と向かってそんなことを言われたのは30年以上生きてきて初めてだ。おそらくは。

 

そして私は家を出た。

本当にいなくなるわけにはいかないので、20分ほどで帰宅したし、

帰宅後は泣きじゃくりながら謝ってくれたのだけれど。

 

20分間の家出中に私は考えた。

あの子は、あの小さな体の中でどれだけのことを処理していたのだろう。

親の想像をはるかに超えた状況下できっと彼女は戦っていたのだ。

それでも「日常」というのはあまりにも非情に過ぎていく。

「日常」に忙殺される私はそのちっぽけな体の中で起こっていることを

しっかりと受け止めることもできず、見守ることもできず、

もしかしたら、よりプレッシャーを与えてしまっていたのではないか。

そう思うと、仕方のないことにも思えた。

 

もちろん5歳の言うことだ。

言葉の重みもどこまで理解しているかも怪しい。

それでも彼女の知りうる言葉の中で

おそらく一番ひどいと思われるワードをチョイスして

ママにぶつけてきたのだ。

彼女のSOSを私は何度見逃してきたのだろうか。

そう思うと涙が出た。

娘に言われた、というよりも

言わせてしまった、というショックが大きい気がした。

 

こんな時、海が近くにあるといいのにと思った。

歩ける距離に砂浜があって

真っ暗な海辺に座って波の音が聞ければいいのに。

あるいは家の中から海が見えたらいいのに。

家族が寝静まったリビングで、小さな明かりだけつけて

海を見ながらコーヒーが飲めたらいいのに。

 

私はこの日のことを一生忘れないと思う。

WakeMeUpWhenSeptemberEnds

気が付けば8月。

前回の更新から早2カ月が経とうとしている。ひいい。

もう少し頻繁に更新したいのだけれど

いかんせんスマホからの更新が苦手。なぜかしら。

 

今年の春から仕事復帰して

あれよあれよと忙しくなり、

気づけば夏休み。

仕事は調整してもらってやや落ち着いたものの

忙しさはあまり変わらず。

平日仕事な分土日で子供の遊びや自分の予定を入れていたら

もう土日がパンパン。

独身時代からそうだったけど、会いたい人が多すぎて

いつも予約は2カ月後、みたいな。売れっ子か。

 

先月は誕生日を迎えた。

家族にも祝ってもらったし、

友人からもメッセージやプレゼントをいただいた。

感謝。

一番古い友人はかれこれもう29年?の付き合い。

日頃連絡をあまりとらない友人や数年ぶりに連絡をくれた友人もいて

とても幸せな気持ちになった。

連絡をくれた人の半分はなかなか会えないので

どこかで時間を作って会いたいと切に思う。

妻でもない、母でもない私の存在を思い出した。

会いたいなあ、みんな。大好きなみんな。

 

幼少期を過ごした人、

青春時代を過ごした人、

新しい世界を見せてくれた人、

音楽を通して出会ってくれた人、

学生時代を過ごした人、

様々。

皆にハグしたい気持ち。

 

夏の始まりにいつも夏の終わりを思う。

それは夏休み直前に誕生日があって

誕生日直後に花火大会と夏祭りがある、

そんな子供時代を過ごしたせいだと思う。

それを思い出せる夏が今年はあって、少しうれしい。

来年は地元の花火大会に行けたらいいな。

 

会いたい人がみんなその花火大会にいたらいいのにな。

皆で一緒にお酒を飲んだり歌を歌ったり踊ったりできたらいいのにな。

 

でもそんな日が来たら幸せすぎて私は死んでしまうだろう。

雨はコーラが飲めない

忘れられないタイトルだ。

雨が降るたびに思い出す。

読んだのは一度きり、20年も前なのに。(20年も経つなんて・・・)

どうしてこんなタイトルが書けるのだろうと思う。

ずば抜けたセンス、としか言いようがない。

 

雨の中iPhoneに入れた音楽をシャッフルでかけていると

雨の歌ばかりが続けて出てきた。

気象情報とか察知して出す仕組みなのか?

落ち込んだ時に大好きな曲を出してきたりするし本当にすごい奴だ。

 

雨と洋楽が繋がっているように感じるのは

おそらく掲題の本のせいでもあって

むしろそのおかげで、というところ。

さらには多感なお年頃の時分に出会った人の影響が大きい。

 

思い当たる人は2人。

2人とも「友達」という永遠の関係におさまっている。

「恋人」は終わりがくるけれど

「友達」は終わりがこないというのがいいところで

私は最良の選択をしたと常々思っている。

自信がなくて踏み出せなかったとか

うまく寄り添えなかったとか

あの時の未熟な自分万歳である。

おかげさまで永遠の地位を手にしたので

未だに年に数回とはいえ連絡を取ることができる。

日常に忙殺されそうになって心が瀕死状態になったとき

支えてくれるのはこの「友達」であることは間違いない。

気軽に会えるわけではないけれど、十分なほど私の中に存在する。

 

雨の日は、そんな思いにふけってしまう。

嫌いではない。

4年間

4年前の今日

息子を産んだ。

2度目の出産。

あの日のことは一生忘れないだろうと思う。

 

もうこれ以上皮が伸びませんっていうくらいお腹がパンパンで

予定日を過ぎても全然兆候がなくて

明け方やっとやってきた陣痛。

 

1歳になる娘も車に乗ってもらって

病院まで旦那に連れて行ってもらった。

たまたま娘を保育園に預ける日だったので、立ち合い出産も叶った。

小さくてふにゃふにゃで

娘とは少し違うにおいがする赤ちゃん。

 

しかしそれから4年間

男の子という生き物は全く理解ができず

(理解しようとするのがそもそもの間違いだと誰かには言われたけれども)

毎日怒ってばかり。

かわいいかわいいと愛でていたのは最初の半年ほどで

あとはもう怒ってばかりだったように思う。

何度言っても聞いてくれず、何度も同じことを繰り返し、

息子にも自分にもうんざりして途方に暮れた日々。

今になって写真を見返すと楽しそうな写真がそれなりにあって

ホッとする反面、

ほとんど覚えていないことに愕然とする。

最初に話した言葉はなんだった?

始めてジャンプできたのはいつだった?

こんなに幼い声で話をしていたの?

どう考えてもかわいい赤ちゃんだったはずだが、

全くと言っていいほど覚えていない。

娘とは年子のようなものだから、仕方がないところもある。

(と言い聞かせる。)

 

しかし4年。

4年が経ったのだ。

首も座っていなかったのに、高いところから飛び降りるほどになった。

(先日もそれでけがをした。)

一言もしゃべれなかったのに、最近は一丁前に文句すら言う。

(ママ探したのに、どこにいたの?もう~っ。)

4年というと大学に入学して卒業するまでの時間だ。

バタバタしていてあっという間に大きくなってしまった。

抱っこすると腰が痛くなるし、

キスも最近は嫌がる。

(すごい勢いで逃げる。)

膝に乗せると頭が顎にぶつかって痛い。

4年とはこんなにも早いものか。

息子はこの4年で見違えるほど成長した。

 

それでもまだ手がかかるし言うことは聞いてくれないし

怒ってばかりいるけれど

たくましく育ってほしいと願うのです。

先日髪を切った。

美容院に行くのはなんと1年以上ぶり。

こんなに美容院に行っていないのは人生初。

と前回も言った気がする。

行くたびに次ぎに行くまでの期間が延びている。なんてこった。

優先度がとっても低くなっているのね。

そしてショートにしたのは実に2年ぶり。

人生で何回かショートボブにしたけれどそれはいつも春。

そして今回は人生で一番短い。自分で美容院に行った中で。

 

私は髪の毛は断然ロング派。

自分のことだけではなく、女性のことだけではなく。

好みのタイプはロング。

せめてセミロングは欲しい。

こればかりはもう理屈じゃない。昔からそう。

余談だけれどNANAのタクミが最高。

 

とはいえ今や毎日の生活が人生の中心になってしまっているので

好みやおしゃれよりも実用性重視。

でもそれではつまらないので

久しぶりにカラーもした。

したのかわからないほどささやかだけれども。

でも気分が明るくなった。

やっぱりこういうのって大事だな。

 

さて今月は子供の入園式、友達と久しぶりにお出かけ、復職、と盛りだくさん。

何を着ようかな。

 

それにしても日記となると毎回支離滅裂。

もう少し文章がうまくなりたいな。

もう少しまめに更新したい。

紫陽花

恋しくて恋しくてしょうがなくなる時がある。

夢を見たわけでも電話をしたわけでもないけれど、ふと。

多分季節のにおいだろう。

もしくは日差し、気温、時間帯。

何かが私の記憶を呼び覚まし、どうしようもない気持ちにさせるのだ。

 

もちろん会えるわけではない。

今どうしているのか知らない場合はもちろん、

知っている場合でも。会える距離にいてもいなくても。

ただ、どうしようもない気持ちは抑えられないので

思い出にふけったりする。

 

一番有効なのは、音楽を聴くこと。

一緒に聴いた音楽だったり、歌ってくれた歌だったり、

たまたまその時期にはまっていた曲だったり、

なんとなくイメージが似ているものだったり。

 

今日はちょうどその日で、

写真を見たり、当時を思い返したりしていたのだけれど、

なんともう8年も経っていた。

ついこの間のように鮮やかな記憶だというのに。驚愕である。

 

多分、すごく思い出が少ないのだ。

会える時間が限られていたから。

でもそれはむしろいい事でもあって、1つ1つの記憶がとても鮮明。

きっと覚えているのは私だけだろうけど。

でもそれでいいのだ。

今日はなんだか夢で逢えそうな気さえしてきた。

 

おやすみなさい。